ふざけ倒して会計士になった人

あなたが、今、このブログをみているということは、私はもうふざけてないかもしれません。

困難のその先へ

不意に思ったことを書きます。

 

今の環境に絶望してるなら、成長を止めているなら、物理的・地理的に新しい場所に移り住むのが良いのではないかと思う。

特に学生や新社会人は、今いるところがすべてと思う。というよりも外をしらないから内側の世界で生きるしかない。

外を知ることが成長につながるなら、リスクを払っても進む価値はある。

地方から東京などの都心にでると自分を知ってる人は、タレント業でもなければほとんどいないだろう。それは不安でもあるがチャンスでもある。また1から自分をブランディングするしかないからだ。今いる内側の世界で通用することが外の世界でも通用するのか?通用したら自信になるし、通用しなかったら新しい自分を見つけられる。そう考えると決してデメリットのみではない。

日本が都道府県という名称で文化を切り分けているのも、自分の中の多様性を見つけ出すチャンス。

やはり自分も地方から東京に出てきて全く自分という存在が認められない状態でも、1つ1つ目の前のやるべきこと・やりたいことをこなしていくうちに(人見知りで積極的に交流するのは点でダメであるが、)友達・仲間ができ、自分という存在がたしかにここにあると感じた。たびたび絶望を味わうこともあるけど、逃げてもよいから自分のやりたいように行動すべきなのかもしれない。少なくともどんな状態でも味方はいるので逃げる場合は、その味方を大切にした後に外の世界に進めば、またいつでも戻ってこれる。

人は自分の時間を大切にしつつ興味は常に移り変わるため、大抵の嫌なことは時間が解決してくれる。絶望は3年後5年後も同じ絶望ではない。反対に今の幸せも3年後も5年後も同じ幸せではない。良いことは今を大切にしつつ、悪いことは先を見据えて今に留まらないという多面的な考えをもつのもいいのではないか。

理不尽な試練や嫌な出来事は必ずしも正面から解決して乗り越えるだけが正しいとは限らない。そういいつつも、そういう出来事こそ一時的に脳の中にこびりつき、それを解決しないと次に進めないように錯覚させ冷や汗をかかせ気を動転させてくる。あくまで一時的な錯覚に過ぎず、時間をおいてほかの事に熱中しているうちに、ふとどうでもよくなったり、名案を思い付くことだってある。

一時的な不運で残りの人生すべてを絶望する必要はないし、そうなる人をしっかり助けられる人間になりたい。

年齢を重ねて傷つき打ちのめされることも多いけど、その分人に優しくなれるし守りたいものを守る力もつくのではないか。良い年を重ねていきたい。