人の人生はセーブデータのようなもの。
知識・経験というデータベースを蓄積していく。
100年といわれる人生で、何を覚えるか、何を行うかでデータベースが変わっていく。
大体のセーブデータには基本的なものは同じように入っている。基礎となっている常識が、時代と場所で大体似通ってくるのだと思う。
給料や、人からの評価は、このセーブデータの内容で決まる。
もちろん、これから極めていくステータスもある。
セーブデータとして貴重なのは、
・性格。性格と職業があってるかも重要かもしれない。
・知識。どれだけIQがあるか、PCなどの道具をどれだけ巧みに使ええるか。
・経験。もっとも後天的なもの。会話力、洞察力、応用力などもどれだけ経験をしているか。
・身体能力。大体の職業は身体能力で跳ね上がることはないが、プロスポーツ選手や、職人技などは、経験と身体能力の高さが大切。
だと思う。
宇宙レベルで考えるセーブデータ
最終的な人間の一生は、宇宙単位の長い尺度でみれば、ゲームのセーブデータのようなものだと極端に例えた。
宇宙の寿命が100億年だとすると、人の一生は100歳まで伸びた現在でさえ1億分の1。
人は生死を繰り返しているので、100年単位でも100億人くらいは死(生)を経験しているのではないかと思います。
お金は、会計というものができて、手持ちの一時点(貸借貸借表)と、ある期間のお金の流れ(損益計算書・キャッシュフロー計算書)を把握している。
人は、ある一時点の人口は70億人だとかなんだとかはあくしているが、ある期間の生死の数を記録していないように感じる。キャッシュフローならぬ、デッドandアライブフロー??
それでも、1世紀、たった100年で相当な人のセーブデータがある。
しかし、人生というとても大切な記録であってもしっかりセーブされていないものもある。
昔でいうと奴隷など低下層の人の記録は残されていないことが多いと思う。
書物に残したとしても、破棄されたり劣化したりと残っていないものが多い。
現代は、ネットがあるので、現在のネットがこの先のこるのかはわからないが、人生という記録を少しでも保存できるのが、良いのかもしれない。
ネット環境が西暦3000年など、この先も長く存在するのかは甚だ疑問ではあるが、日記帳などのように紙に残すよりも、生きた証(セーブデータ)を残せる確率は高いと思う。
ネットの容量はしょうじきわからないけど、この先回線速度が上がるにつれて、ネット内のデータが積もっていき、データを保存するだけで課税させられるような世界になるのかもしれない。
ネットが一般的になってきたのも1990年頃らしいので、日本人の生活・仕事の中心となってるといってもここ30年ほどの年齢である。
100年、200年後には、2018年あたりを生きていた一般人がどんな生活をしていたのか、ということは貴重なデータになるかもしれない。
100年前、200年前、はたまた戦後・戦前の暮らしの記録は貴重なデータになっているからである。
これからは、ネットなどで第三者に公開するか否かにかかわらず、今の行動の記録や考え方を数百年後までいかに残すかが大切だとおもう。
今日を生きるのに必死で、実際自分が100歳まで生きられるかは全くわからないけど、100年、200年といった超絶長期的思考を大切にしたいとおもう。