ヒトが、現在の知能まで行き着くきかっけは、直立二足歩行だったそうです。
他の動物との違いに、一夫一婦制が絡むそうです。
人はもともと、群れで生活しているにもかかわらず、原点で一夫一婦が染みついているというので驚きです。
本来群れで生活する動物は、メスの発情期が他のオスたちに目に見えてわかるようになっており、それに反応して、オスが子孫を残すそうです。乱婚です。
その場合、生まれてきた子供が自分の子供か他者の子供かわからないという不都合が生じます。夫は子育てをしても必ずしも自分の子孫を残せないため、子育てに消極的になるのです。
さらに、動物にある共食いも問題です。
恐ろしいことに飢えている動物は、最悪の場合、自分の子孫ではないと思ったら食べてしまうこともあるそうです。
対して、ヒトは、一夫一婦制であり、しかも、直立二足歩行が功を奏して両腕が自由に使えます。オスは、食事を入手したときに、2本の腕で抱えることができるため、妻と子供に食材を運ぶことができます。
そのため、自分の子孫を確実に残すことができる術を見つけました。
例外はあるにせよ、ヒトは理性が芽生える以前から、お父さんとお母さんが協力して子供を育てるという習慣が根付いていることは感銘です。
もし、一般的な生物の繁殖である乱婚が当たり前だったら、人間の文化はどうなっていたのか、と考えるとちょっとゾッとします。
結婚という概念はなくなって、一部の地区単位で、みな家族のように過ごすのでしょうか。
他国でも一夫多妻制などはありますが、どの国・民族でも結婚に近い文化はあると思います。
地球上の生物単位で多数決をとったら、乱婚の比率は高くなるはずであり、それが常識だ!という展開になったら、他人への思いやりや気遣いは、今よりも薄くなるのか濃くなるのか気になります。
何の根拠もない私論ですが、乱婚社会の場合、現代のような協力社会が成り立つのかわかりませんが、コミュニケーションという目に見えないヒトのガラスの結晶は、より脆く崩れやすくなってしまうのではないかと思います。
(乱婚が前提→家族・結婚という文化がない→協力関係が弱い→信頼する力が乏しくなる)
なぜ人間にだけ、一夫一婦が許されたのか。
人間は他の生物と違うからこそ、ヒトに生まれたことを誇りに思うのかと思います。
一夫一婦という人間の個性の長所を十分に発揮しているからこそ、いまの文化が形成されたのかと思うと壮大な気持ちになります。
他と違うこと、個性を嘆くのではなく活かすことが、個人の最大の武器だと思います。
人間が個性を活かして今を作っているように。
あと、人間の本質というか根本に一夫一婦があるがゆえに、不倫など動物界ではありきたりの乱婚文化はヒトの世界ではなじまないのかと思います。
エビデンス