ふざけ倒して会計士になった人

あなたが、今、このブログをみているということは、私はもうふざけてないかもしれません。

ビジネス書って未来からみたら論文説

最近、ふと思うことは、

学問には論文というものがありますが、

ビジネスには論文がないということです。

 

経営学という部分では、論文もあり、学術的にロジック化されていますが、

ビジネスには、ビジネス書しかありません。

 

ビジネス書というと、ノウハウ系か自己啓発系かスキル系みたいなジャンルに分かれるかと思います。

ということは、今読んでるビジネス書は将来的には、21世紀の論文となるのでしょうか。50年後、100年後と時が経てばもっと企業の努力と結果がわかりやすく、より精緻化した情報として取得できるのではないかと思い、そのうえで当時のビジネス論のうち時代に最も適していた作者はこの人だ!とわかるようになるのかもしれません。

 

人類が狩りして生き抜くことを主としてとらえてたように、武力で生き抜くことを主としていたように、ビジネス・働くということを主としている現代の人のように、新しくなった世界では、ビジネスは歴史の1つかつ学生の研究対象の1つみたいな位置づけになるのでしょうか。

そう歴史という観点から考えると、社会的な信用力を高めて利益を得るような現代の社会は、成功する企業・個人もあれば逆も然り、飛躍的に大きな成功を収める企業もあれば、数年の小さな成功で終わる企業もあり、戦場がビジネスに移りかわり、領土から貨幣の拡大が主目的になっただけで、根本にある人の支配力のようなものは変わってない気がします。

 

いろいろなビジネス書が常に出版され続けていますが、個人の数だけ成功例も論拠も異なります。そもそも状況という土台となる変数が常に変わり続けているので、解答が常に変わるのは当然ですが、ビジネスの終焉がどこに行きつくのか、戦国時代の〇〇の合戦みたいに、ビジネス史に残る挙動は何なのか、見物ではないかとふと思いました。