ふざけ倒して会計士になった人

あなたが、今、このブログをみているということは、私はもうふざけてないかもしれません。

情報をただ受け入れることへの疑問

商店街のアーケードを歩くとたくさんの人とすれちがいます。

自転車を漕ぎながらどうやったらこの群れをスムーズに進めるかと鬱陶しそうな顔をした人、買い物帰りかパンパンな白い袋を両手にぶら下げてあるく人、スマホ片手に速足で効率的に歩くスーツのサラリーマン。

そして、親子なのかお母さんと2人の子供もいます。
歩きながら不意に目に付くと、お母さんと1人の子供はとても仲睦まじい様子ですが、もう1人は背後を遠からず近からずの距離間で歩く少女。

普段であれば日常的な光景ですが、常識というフィルターを外すと、果たして見えているものがすべてなのか?と思ってしまいます。

この目で見えているものだけが真実ではないとすると、背後の少女は果たして、この世の中に実態をもっているのか。

不慮の事故で尊い命を絶ってしまった少女が、いつまでもその事実を受け入れられずに母親を求めてさまよっているのかもしれない。

 

常識というフィルターで覆われたメガネを外して、裸眼で物事を向き合うと不意にいろいろなものがぼやけて見え、それが何なのかを脳で考えて推理します。

情報を受け身でどんどん取り入れるだけではなく、その裏にある背景まで自由な発想で考えてみることも楽しいのかもしれません。

 

商店街のアーケード、スクランブル交差点、電車のホームなど、数えきれないほどの人が動いていますが、果たして全てがすべて現世の人間なのかと疑問に思います。

一人一人に人生があるのは間違えありませんが、果たして目に見えるものを受け入れ続ければ良いだけの時代はいつまで続くのでしょうか・・

偽りの情報があるように、肉眼で認識できる視覚技術の発展によって幽霊のような虚が成り立つかもしれません。

 

反対に、そもそも。ネット、ゲーム、VRと仮想空間の物語を人間が創り出したように、今の現実も何かが創り出した仮想現実かもしれません。

 

不意に思う疑問や突拍子もない考えも、文字に起こしてみるとおもしろいです。落としどころをみつけるのが難しい。(笑)