ふざけ倒して会計士になった人

あなたが、今、このブログをみているということは、私はもうふざけてないかもしれません。

猿蟹合戦を現代風にして読み解いたら事件だった

子供の頃よく聞いた童話の「猿蟹合戦」ですが、

大人になりしっかり意味を理解すると、現代も昔も同じようなことが繰り返されているんだなぁとつくづく思います。

技術は進歩しても、人間の中に潜む善悪の心は全く進歩していないのかもしれません。

童話ってホントは残酷」という本が面白くそこを参照にしましたが、内容をやや現代風に置き換えてみました。(笑)

 

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猿蟹合戦

第一部:お互いが合意のうえの相対取引

まず第一部はカニが持ってるおにぎりと、猿がもってる柿の種を交換するところです。
現代風にいえば、ここでの出来事は両者合意の上で行われた相対取引です。
カニは短期的に流動化する資産(キャピタルゲイン)で現金の類にちかいもの、猿は長期的に木からなる果実(利息)を得ることを目的とした資産(インカムゲイン)をもってお互いのトレードをします。
この時点で、猿は木に柿の実が成ったら労働の対価として柿を得ようとしていたのかもしれません。ちなみにこの時点で、カニは柿の木が育たないリスクなどを負いますので、そのこともしっかり考慮したうえで意思決定を行ったのか、そして実が成ったあとの収穫のことまで考えていたのかはわかりませんが、カニ情報弱者であり猿は先を見据える力があったのだと思います。

 

 

第二部:契約違反そして・・

そして第二部はカニが見事、柿の種投資に成功し、投資額・元本(おにぎり)を利息(毎年なるはずの柿)で回収するのです。
ここでは、カニが柿の種から芽がでて、育っていく際に、「早く育たないとはさみでちょんぎってしまうぞ!」的な脅しを行います。柿という事業の会社に対してカニが社長だとすると、かなりのワンマン経営ですね。現代だったら圧倒的パワハラです。
当時の価値観だったら、従業員=奴隷という扱いだったのでしょうか。柿の種というのが売られた子供と考えると「柿」という比喩表現は実に巧みです。(ここは参考した本には明記されておりませんが・・)

柿を回収する予定だったカニですが、届きません。そこで、木登りが得意な猿がおこぼれをもらいにやってきます。
ここでカニの柿を取るかわりに猿も労働の対価として柿をいただく旨の契約が締結されます。しかし、ご存知のとおり、猿は契約違反をおこします。カニは熟れて美味しい柿を取ってと言っているのに、青い渋い柿を落としたり、自分の食べかけの柿を落としたりします。

多分、猿は食べかけだけど熟れた柿を渡しているので契約違反には該当しないと主張するのでしょうが、なんとも言えませんね。
身近な例でいうと、自信の恥ずかしい体験談ですが、auのキャッチセールスが来た際に、家に敷くインターネットでau料金はこのくらいですという価格を提示し、お得にみえましたが、2,3か月後からプロバイダー料金が発生し合計で毎月のネット代が倍近く高くなりました。知識があればauひかり料金とプロバイダー料金の両方が発生するから乗り換えるのは得策ではないと結論付けられたでしょうが、そこまでわかりませんでした。この時、安易にもauといえば大企業だし大丈夫だろうとおもってしまっていた自分が馬鹿だった~(笑)とおもいました。

このとき、カニが泣き寝入りしなかったのは、やはりワンマン経営で度胸が据わっていたからでしょう。猿に「木の上ではさすがに逆立ちできないでしょ?」と自尊心をくすぐり、こっそり持って帰ろうとしていた柿を全部落とさせる機転の利かせようです。ピンチの時でもチャンスがある。強欲な猿めのことだ、余分に収穫して持って帰るに違いないと考えるあたり、カニは先見の明は乏しくても人間心理いや強欲な猿心理を理解していたのでしょう。

その後、ぶちぎれた猿が、お前の家特定してっから、やくざ仲間つれてぼこぼこにしにいくからなと脅迫行為を行います。この脅迫罪にあたる犯罪予告に絶望に打ちひしがれるカニ。そこに、ユニークな仲間たちが猿退治にひと肌脱ぎます。蜂、栗、畳針、石臼、牛の糞。これは本では、村人のあだ名や職業が関連している擬人化童話だと語ってす。今も昔も擬人化とかケモナーは需要があったのかと驚きます!!

 

第三部:制裁

第三部は猿という悪者を懲らしめる、スカッとする爽快な締めくくりになるはずです。子供の頃記憶にある話と本来の結末は少し違っているようでびっくりしました。

猿は脅したものの1人でカニの家に乗り込みます。
いろりで暖をとる猿、ここに栗が猿の目玉めがけて飛び込み、猿の目を突きます。子供ときは普通に聞いてましたが、大人になるとなんとも残酷で痛々しい仕返しなんだと改めて思います。
その後、痛みで狂い悶え転げまわる猿に畳針は猿の肉の筋を切り分けるように深く突き刺さります。さらに、追い打ちで水を求める猿の手を蜂が指します。猿は家の中から逃げ出そうとしますが、牛の糞により転び顔面を強打。ぐったりしてうずくまる猿に、屋根の上の石臼が飛び込み顔面を熟れた柿のようにぐちゃりと潰して殺害します。
僕が子供の頃に記憶する話では猿は殺されなかった気がしますが、本来は殺されてしまうそうです。いわば猿に「制裁」を行うことを同情や善の心で引き受けた仲間たちは、エスカレートしすぎて最後には殺してしまうんですね。

当時は当然ですが、テレビもスマホもない時代ですので娯楽に乏しかったのだとおもいますが、「制裁」という正義の代表として働く集団心理が集団リンチにまで発展してしまったということです。自分の行いを正当化する理由が人を恐ろしい凶器に変えてしまうのだとつくづく思います。

この制裁の際に、初めに猿に攻撃をしかける栗が目玉を突き刺すという非道な行為を行うことで、他の仲間の狂暴性に火をつけたのでしょうか。確かに猿は悪であったが、本当に死刑に値する罪を犯したのかということがテーマの作品だったようです。

SNSの炎上やマスコミの芸能人のスキャンダル発表をみてると、程度の差こそあれこれに近いことが起きてるのかなと思うのは考えすぎでしょうか。
三者である視聴者は、被害者に同情し加害者を徹底的に排除しようとします。一人一人の言葉の暴力・批判が何千人も、何十万人もになれば十分な制裁になると思いますが、最も恐れるべきは第三者達は自らの行為を正義だと正当化してしまっている場合です。ましてや物語と違って被害者に依頼されたわけでもなく加害者に制裁をしているのだとしたら恐ろしいですね。

ある1つのテーマに対してある意見が過半数を占めたら正しいように思えます。それが常識であり流行であるのだと言い換えます。そして常識に従うことはその他大勢の意見と一致しているので心強く説得力があります。ただし世の中の常識がすべて正しいということは限りませんね。そういった集団心理の怖さも教えてくれています。

ちなみに、今回の制裁は、カニの意見とそれらしい証拠があることで、周りは同情して行動に移していますが、果たして本当にカニは真実を語っているのでしょうか?
大体被害者は、自分の都合の良いように話すので、事実ではあるけど物事の全体を取られていないことがあります。猿に柿をもらえなかったり脅迫されたところが虚偽だったら猿の言い分を聞かずに一方的に制裁するとは恐ろしいですね。いわばカニは柿の種ビジネスを成功させた資産家であり、仲良くしてればおこぼれがもらえるかもしれないのですから、その立場を利用することも考えられます。

 

猿蟹合戦が、現代の新聞記事やメディアで取り上げられるとしたら、柿の種の見返りに関連した事件なので、ナッツリターンならぬ柿の種リターンでしょうか。