ふざけ倒して会計士になった人

あなたが、今、このブログをみているということは、私はもうふざけてないかもしれません。

恐怖とは、「置き換え」である。

 今日は、本を読んでいたら、興味深い一文を見つけました。

「平気でうそをつく人たち」という本で、ハーバード出身の精神科医のM・スコット・ペックさんという方が書いた本です。

 

悪とは何ぞや?法を犯さねば問題ないのか?

この本は、精神科医のところに訪れた患者のうち、「悪」に焦点を合わせた珍しい本です。

邪悪な人や虚偽の人というように、精神病とはいえないけど、他人を支配したり、自分の自我を正当化するために人としての良心をどこか欠いている人のことをいい、その定義や範囲は非常に複雑です。

世の中には、明らかに法律に反する行為、犯罪を犯す者がいます。彼らは犯罪者として誰もが「悪」と位置付けますが、邪悪な心の持ち主は、犯罪者でもなければ精神病でもなく、あいまいです。曖昧で複雑なため、どの分野で研究すればいいのかグレーのままだと言います。著者は、そのグレーゾーンである「悪」=タイトルにもあるように、平気でうそをついてしまう人を分析し、実体験を含めてパンドラの箱を開けようとしたものです。

 

 

クモ恐怖症からわかる心理状態

その中の1つに、クモ恐怖症という話があります。

学業成績不良で心理療法家の元にやってきたビリーちゃん。

・6か月の治療後ビリーの成績はわずかに向上

・本人は治療の続行を希望するが、母親が治療費の一切を出さないといった

・彼女は、それでも希望し、自分のお小遣いで通院(その後これが気に入らずお小遣いすらもらえなくなる。

・3年間は何も変化がなかった。

・学校の宿題をしないが、「怠惰」のせいにする

・極度のクモ恐怖所でクモをみるとパニックに陥る

・彼女の母親は、父親の悪口ばかりであり、不倫している

・ビリーは母親と仲が良く、なんでも話す仲

・父は無口で物静かなので、2人の共通の敵にされていた。

・彼女は容姿端麗のためすぐに恋人ができるが、数週間で別れる。長続きしない。

・いやいやながら先生の勧めで、アパートを借りる

・クモが出るかもしれないアパートは怖くて1人で住めない(6か月で6回程度止まっただけで、あとは彼氏の家か実家で暮らしている)

・孤独に対する恐怖がある。

・実家で母親と話して孤独を埋めるが、先生との話し合いの結果、水曜日の夜9時には必ずアパートに戻ると約束

・無理~

・治療を続けて6年孤独を恐れ、邪悪性を感じつつも母親から離れられないでいるビリーに転機が訪れる。

・詩を書くことに没頭する。宿題はすることによる孤独な状態にすら耐えられなかったのに、詩を書いてるときの孤独は心地よかった

・詩を書きたいので水9で帰るという意思が芽生えるが、母親の巧みな話術で阻止される

・母親も孤独に対する恐怖があり、ビリーを自分のコントロール下に置いておきたいといのではないか?とわかる

 

 

恐怖とは「置き換え」によって生じるものである。心理療法家はこう説明した。あるものに対する正常な恐怖感や反感がほかの何かに置き換えられたときに、恐怖症が生じる。本当の恐怖や反感を自分で認めたくないときに、人はこうした防衛的な置き換えを行う。

 

・母親の蜘蛛のようにビリーちゃんを絡めとり、そこから逃げられない自分自身。というよりも母親の邪悪性を認識しつつも、実の親を「邪悪」と認めたくないという葛藤があり、その恐怖を「置き換え」てクモ恐怖症になった(と推測される)

 

 ・孤独とは人間性の1つであり、邪悪ではない。が、親はその孤独に耐え子供を離すことを決意しなければならず、それを必死で阻止することは邪悪であると先生は考える。

・ビリーは心の準備が整う。現実を受け入れる心の準備を。

・母は孤独を恐れ他人を網にひっかけるクモであるが、ビリー自身も恋人を片時も自分の傍に置きたがり網でひっかけるクモであることを受け入れる。

 

彼女のクモ恐怖症は、母親の邪悪性を否定するためだけではなく、彼女自身の邪悪性を否定するためにも利用されていたのである。 

 

・彼女は自分と母親を「同一視」していた。本当の敵は自分の中にあることに気づき、立ち向かう意志を持った

・そして1つの詩を書いた。

 

と終わる。その後、ビリーが独立できたのかまでは書かれず、決意を決めたところで終わるというところが、実にドラマチックだと思います。

倫理療法家はある意味で、ミステリー小説にでてくる探偵のような仕事なのでしょう。

患者の心の中の、元凶(犯人)を見つけ出す。そして探偵よりも難しいのがその患者自身に元凶を逮捕(克服)させなければいけない点でしょう。

 

 

まとめ:恐怖=置き換え

まとめると、クモ恐怖症は、母親の異常なまでの束縛からきている。

ビリーは母親を同一視しているため、そのことを否定することは自分を否定するような心理状態であったので、いやな部分から目を背けた

クモ恐怖症の元凶は、母親の束縛であり、それはビリー自身の束縛(孤独を恐れる異常な粘着)でもある。

「置き換え」の元凶を受け入れて、立ち向かう意志を持つことで、恐怖症を拭い去る!

 

この置き換えによる真の恐怖を隠すような、人間に本能的に備わったトリックがあることに驚きました。

この「置き換え」は人間の逃避行動の一つで、逃避するからダメな人間であったり、攻められるような人間ではないのだと思います。逃避に勝つには、目を背けていた真実を受け入れる心の準備が必要であり、そこに至るまでは数年という超期間の戦い。一番大切なのは、ビリーちゃんのように、これを克服したいと望み続けることだと思います。

 

 

応用して考える

これは意外といろいろな物事に当てはまるのではないかと思います。

例えば子供の勉強嫌い

・元凶は、親の勉強やったの?というプレッシャーや猜疑心を受けたことにあったりする

・ここで平気でうそをつくような対応をしてしまう子供は邪悪性に引き込まれるのだと思います。親の支配欲に対抗するために。

・また、親の支配欲から逃げられないとすると、なんらかの恐怖症を発症するなど、目を背けることで、自我を保つ。

・それもできない子供は奴隷になり、心を閉ざし言いなりになる。

これは、職場の上司部下、部活などの先輩後輩関係でも、人間の縦割り社会では切っても切り離せられない問題なのだと思います。

そこで、この「置き換え」を心に留めておくことで、自分自身や身近な人を救うことにつながるのではないでしょうか。