去年Amazonでついで買いして積読(つんどく)状態だった(いや、積んでいただけ・・・)「Jimmy」を読んでみました。
きっかけは、明石家さんまが書いた小説なんだ~やっぱり面白いのかな~と軽い気持ちで買いました。
ビートたけしや松本人志を筆頭にお笑い芸人は、漫才やコントを通じて笑わせるための演技を極めた人で、常識にとらわれない発想で映画に小説に堂々と切り込んでいるイメージです。
結果的には、さんまのこの小説は実体験を通じて書かれたものでした。
主役は「ジミー大西」!
何をやってもダメダメなジミー大西が、とりあえずなんば花月に雑用係として入り、明石家さんまと出会うことで「芸人」いや「さんま」という人の魅力に取り込まれるところから、笑いあり、涙ありのジェットコースターのような作品になっています。
さすが、「原作明石家さんま」だけあって、とにかくリズムが心地いいです。有名作家のような巧みな比喩表現や、複雑な描写などは少なく、シンプルにジミー大西とさんまの人間力を感じました。
ジミー大西といえばガキの使いでたまに観たり、たまに画家としてなんかの番組で観たりと視聴頻度は数えるほどしかありませんでした。それでもインパクトが強く爆発的な笑いがあるので印象には残っていました。ジミー×さんまという絶頂期の頃を知らない僕でも、この本を読んでただただ純粋にジミー大西が好きになりました。
さんまさんは、普段テレビでみる陽気で明るい印象が強すぎて、超完璧な兄貴的な存在に思えました!スターウォーズでいうマスター・ヨーダ的な印象です。ジェダイが悪に立ち向かうための超キーマンであるように、ジミーちゃんが障害を越えて未来へ立ち向かうためのヨーダ的な存在です!
この本の中のさんまの兄貴度合いから、ジミーちゃんの中で、それだけさんまの存在が壮大なのだとわかります。
純粋な落ちこぼれでいいの?
たかが本を読んだだけの印象ですが、ジミー大西は落ちこぼれで一般職がかけているけどある分野に対しては異常な才能を発揮するサヴァン症候群のようです。
誤解を恐れずにいうと、知的障がい者に近い存在なのかなと思います。一般的な会社で、一般的な社員として求められるスキルは若干欠けているのですが、現在では有名な作家として名をとどろかせているように、その才能が発掘されたら常人をはるかに超える集中力を発揮するようです。
その圧倒的な集中力が、犬がご主人だけをこの世のすべてと思うような愛情として「さんま」に向けられました。熱中という言葉の方がしっくりくるかもしれません。
自分をポジティブに接してくれた人「さんま」さんに、警察犬よりも鋭い嗅覚が圧倒的なカリスマ性をかぎ分けたのか、さんまの弟子になりたいとひたむきに頑張ります。
さんまは弟子は絶対とらない主義のようで、ひたすらかわし続けます。が、周囲からの(特に上司からの)ジミー大西への罵詈雑言に対しては、徹底的に立ち向かい、徐々にジミー大西との絆が深まっていきます。
(タイトルのJimmyという言葉に愛が詰まってるのではないかと思います。)
ジミー大西のなにも見返りを求めないまっすぐな感情が読んでいてすがすがしいです。
空気の読み合いや、気遣い、下心からくる親切など、高度に成長した現代社会で複雑に発展しつづける人間関係の、カバンから取り出したイヤホンのケーブルが絡みあうような不快感がない。
そのまっすぐな人間性を良い面も悪い面も写してることが魅力だと思います。
ピュアに生きること自体が才能なのではないかなとおもいます。
グッときた言葉
読んでいて心に響いた言葉にマーカーをひいてみました。
「今までの自分、笑い飛ばしてみ。そしたらなあ、お前いじめてきた奴とか、からかってきた奴とか、全部見返せんで!」
「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもろいってなって笑ったら、笑ったもん勝ちになるんや!そういう風にできてんねん!笑ってみい!」
→本人は自覚してなくても自分をみじめな人間と自分に悪者のレッテルを貼ってしまってるジミーちゃんを元気づけるさんまの金言。どんなときでも笑えるやつ、前向きなやつに明るい未来がある。どんな失敗でも笑いのタネにしてしまう事がプラス思考の初歩なのかもしれません。
「誰でも最初は素人だよ」
→ジミーが画家の道に進むことへ不安を抱くさんまに対して、大竹しのぶが的確に芯をとらえた返し。
何やっても、上には上がいるとチャレンジすることすらやめてしまう事はあるけど、超一流といわれた人たちでも最初は素人。本当に好きなことを、勝手な自分や他人のものさしで測る(測られる)こと自体跳ね飛ばしていいんだと思える言葉でした。