お金とは、他人からの預かりもの。
自分の稼いだお金だとしても独占できるわけではない。
ゆくゆくは世の中に流れていくものである。
川の水を汲むように、生きるために必要な分だけでよい。
もし、1件の家族が川の流れをせき止めてまで独占してしまったら、その他多くの家庭に不都合が生まれるでしょう。
さらに、お金はリサイクルできる資源としての性質がある。
あるものに消費したら、誰かの手元にお金が入る。このお金の流動は多くの人に流れる。販売店、商社、仲介業者、運搬業者、制作メーカー、部品メーカー、税金として地方、国へも流れる。
お金が流れるということは商品・サービスなどの消費を通じて、流れた分だけ仕事が生まれることにも経済を回す燃料になる。
自分の手元に必要な蓄えは貯めておいても良いけど、過度な蓄えは資源自体が劣化してしまう。川で汲んだ水であれば、放置してしまえば腐って蟲が沸いてしまうのではないでしょうか。
日本の家計で1,000兆円以上の余剰資金が滞留してというので驚きである。むしろダムである。
このダムは、好景気という豪雨が降り注ぎ氾濫しない限り、預金口座などを通じて家庭に滞留しきってしまう。
まだデジタルが発展していなかった時代は、お金を貯めるのは、おおむね貯金箱や金庫だったのでしょう。
有限な空間にお金を保存するため、無限に保存することもできず、盗難や火災のリスクもあるので、滞留させておくこと自体にも不安があるので、適度に貯まったら消費し流していた。
しかし、銀行の預金口座はお金をデータ化し、無限空間に貯めておける。そのため、銀行の倒産傾向さえ注意していれば、どんなにでも貯めて置ける。
また、お金という水が溜まっているという認識も、データ上の数字でしか確かめられないため薄くなる。認識が薄くなると、不安がつのりより多く貯めてしまうという悪循環があるのかもしれない。
好景気という豪雨で氾濫してしまったお金は、建物や会社、株式のような投資により大きな消費になる。個人レベルでも貯金という雨水がバケツから溢れるときに、ブランドバックを買ったり、時計や車を買ったりと、少し大きな買い物を行う。
今の経済は、河川が氾濫するほどの流れになっていないが、個人の本の少しの消費が積み重なることで川の水かさを増すことはできる。個人の協力が全体の最適化につながる。
お金という大河を日本円を乗せて、外国為替の大海原に流れ、好景気の津波や台風で日本が潤うことになればよいですね。