ふざけ倒して会計士になった人

あなたが、今、このブログをみているということは、私はもうふざけてないかもしれません。

空飛ぶタイヤ(下)

映画「空飛ぶタイヤ」を観て、ストーリ性にとにかく感銘を受けたので、小説も読んでみよう!と思いました。

なるべくネタバレはしないように書いていこうと思いますが、それでも内容に触れてしまいます。><

 

今回小説を読む前提の僕のモチベーション

・映画と異なるエンディングになるのか?

・映画で端折られた部分は多いのか?

・もう一回、文字として振り返りたい!

・主人公の妻役の深キョン深田恭子)が可愛すぎたので、ものすごいインパクトを受けてしまった

 

 

 

映画と違うの?

ほぼ同じでした。

小説では、家庭(子供)の問題の部分がしっかりわかるので、映画以上に主人公に感情移入してしまいました。

映画は小説に沿いながらも、主要な登場人物の人間性が大物俳優さんたちから伝わってきます。俳優さんの演技力と対照的に実際の職場で感情をあらわにしないように、小説ではもっと水面下の戦いとして心理戦が描かれています。

小説では、主人公周辺の人間味が余計際立つため、社会との対立が如実に表現されているのだとおもいます。

映画は、後半の展開がせわしなく、マイペースな僕にとっては一番味わいたいところが時間の関係上ダイジェストになってしまった~ポカーン( ゚д゚)というような感覚があったので、小説でしっかり味わえて満足でした。

 

読み終えた感想

主人公の脱輪事故後に戦わなければならないことが、

仕事(営業上のお客さん)・トラブルに対する社会への対応・被害者遺族・家庭と 次から次へ主人公が休む暇なく押し寄せる感覚が、リアルであり、疲労感までもが伝わってくるような衝撃がありました。

まるで、防戦一方の将棋のように、ひたすら受け続ける主人公ですが、その闘志は諦めることなく挽回の一手を探し続け、最後まであきらめない根性には脱帽です。

とにかく主人公は「情」の人、情に厚く、仁義というか自分の中の芯を貫く。その様子が、まるで少年漫画の主人公の様に一途に前向きで安心して読めます。

反対に、敵となるメーカー側は、しっかりと自己利益を追求するような利益主義を貫き、会社や人材は道具のように扱う姿勢が一貫しています!これを社会人として生きてしまっている以上「悪」と言い切れないところが余計に腹立たしいです。

利益を追求するのが会社の使命であり、競争社会の中でいかに自分が有利になれるかを理性で考え抜き、感情を排除した意思決定は大切だと思います。そのなかでも、コンプライアンスひいては社会的信頼を損なうようなことはしてはいけないと当たり前だけど、日々の激務に忙殺されてしまいついつい盲点になりがちな部分にスポットライトが当たっていて考えさせられます。

 

今回のおおよその主人公と思しき人物の視点で進んでいきますが、おおよそ3人、主人公の赤松、メーカー側の主要人物である沢田、メーカーのメインバンクである銀行の伊崎の視点を中心にストーリーが進んでいきます。

全く立場の違う3者から情報が得られるので、全体像は把握しやすいですが、社内の人間関係や仕事上の心理戦が事細かに描写されすぎていて、人間性が際立たないのが面白いです。主人公は気合で進む、真っ向勝負型なので人間性がわかりますが、大会社系列の登場人物はどこか機械じみた人間味のない雰囲気で不気味さがありました。

しっかり描かれているのに、心が宿ってるのか疑問になるという不思議さが池井戸潤マジックなのでしょうか?

働きづめのサラリーマンにとっては、社会的・精神的なスプラッターに感じるくらいパワハラ問題もりだくさんです。

 

映画→小説から入ってるので、主人公の妻は深田恭子で脳内再生されますが、小説のお母さんはTHE主婦という印象です。優しく見守るというよりも、愚痴もいうわなんでも情報共有したがるわという一般的な主婦像でした。

主人公の疲労困憊がつたわってくるので、ちょっとうっとうしく感じてしまうような描かれ方ですが、なぜか深田恭子で再生されると、とても羨ましく感じる不思議な感覚・・・(笑)

話は外れますが、コミュニティは子供や学校とママさん友達が中心となります。そのコミュニティでの立ち位置を脅かされたら、社会からの批判と同じような状況だと思います。子供の世界が学校がすべてのように感じるように、専業主婦の場合も、コミュニティは狭まってしまうと思います。広く自由な交流の機会があっていいようにおもいます。

 

 

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