ふざけ倒して会計士になった人

あなたが、今、このブログをみているということは、私はもうふざけてないかもしれません。

~はよくない!というときは「〇〇にとっては」まで考えませんか

昔から言われているのは、「食べ物の好き嫌いはよくない」という言葉でしょうか。

日本人なら、生まれてから成人するまでの間に耳タコのように聞く言葉です。

 

しかし、これは「食・生きているものに対しての感謝するという道徳心にとっては」好き嫌いはよくないということではないでしょうか。

その食べ物のために、犠牲になった作物や生物がいることを念頭に置きましょうという意味もあるかもしれませんし、そのほかの意味かもしれません。

その「何にとっては」よくないことなのかという前提を捨ててしまうと、堅苦しい漠然とした概念に行動を支配されかねないと思います。

 

たとえば、好き嫌いにしても、人間という生物が誕生からいままで生きてきた中で、好き嫌いがあったからこそ、ここまで数多くの食料をみつけて生き残ってきたのだと思います。

 

極端に野菜しか食べない人々と肉しか食べない人々がいたとします。

肉しか食べない人が、好奇心でいろいろな動物や魚を口にしてきからこそ、牛・豚・鶏から馬や鹿など様々な食が生まれています。

さらには、もし狂牛病が発生して、肉しか食べない人が99%消滅したとしても、野菜しか食べない(肉が嫌いな)人がいるおかげで人間は生存できるとおもいます。

また、野菜に汚染物質が混入してしまって野菜しか食べない人が99%消滅したとしても、肉しか食べない人がいるおかげで人間が生存し続けられると思います。

 

そういった意味では、辛い物が好きな人がいるおかげで、唐辛子・ハバネロ・タバスコ・わさび・からしなど様々な辛いモノが発見されています。

また、嫌いなものがあるおかげで、ある食料が原因の病気が流行しても種族の消滅を待逃れています。

 

 

話が膨らみすぎましたが、日常で使われてる言葉はかなり省略されてきていると思います。

身近なところでは「おいしい、うまい、やばい」という言葉でも料理の好みを表現できてしまいますが、グルメリポーターの巧みな表現を聞いていると、そのレベルの差に圧倒されます。

 

主に物事を否定するときは、自分自身の過去の経験を守ろうとしたり、尊敬する人(例えば親であったり恩師であったり自分であったり)の意見と食い違う場合に反射的に反応してしまうことが多いのではないかと思います。

物事をもっと広い視点や細かい視点など多面的にみれば完全に正解の結論は、数学や化学くらいではないでしょうか。

科学でも、いままで何世紀もAだとされてきたことが、ある発見をきっかけに大どんでん返しが起こることもありうるので、自分が生きている100年程の間で結論が変わることは稀ですが未来永劫ただしいわけでもないかもしれない。

 

現代社会は多面的な意見が許されてる時代なので、今までの当たり前に反証とそのもっともらしいエビデンスがあれば覆ることができると思います。

その証拠に、研究分野でもビジネス分野でも造語でも新しい概念がどんどん生まれていきます。

 

僕自身も、これはよくない!これはダメだ!と思ったときに、その理由をしっかり説明いないときは、無知の知だなぁと思います。